和尚ラジニーシの弟子仲間の一人に
岩手在住の「清水友邦」さんという方がいます。
年齢は1953年生まれで私と同じ歳です。
2冊の著書がありますが、(「覚醒の真実」と
「よみがえる女神」)そのプロフィールを見ると
幼少のころから自分が誰なのか
深く疑問を持ち探求の道に入ったそうです。
私と違ってその探求の真剣さは強烈というか
世界各地の聖地巡礼やヨガ、気功、瞑想、
エサレンマッサージなど各種ボディワーク、
ブレスワークを学んでいて 現在イーハトーブ
身心統合研究所代表として チベット、カイラス山
巡礼後、人々と覚醒をシェアするワークを行っています。
野風ムラにもコロナ前に宿泊で数度訪れて戴いています。
とても自然体で素敵な方です。
著書も2冊贈呈してもらって感謝です。
そしてこの「覚醒の真実 360p」の第1章は
「私の探求」として自らの体験が綴られていて
とても興味深いです。
子供のころから自分が誰なのかに疑問を持ち長年
精神の探求をまさに世界中を巡ぐって 追求し続けました。
探求の中で清水さんは何度も至高体験を得てましたが
それはいつも長続きせず全て過ぎ去っていきました。
後に残るのは相変わらず 昔と変わらない愚かで冴えない
自分がそこにいて 絶望と自分が無価値に思えることでした。
人生の後半を迎えるまで その探求の道に費やした
お金と時間と膨大なエネルギーを思っても
全てが無駄なように思われ 強い虚無感に襲われました。
果てしなく落下して地獄に落ちていく夢を
何度も見てうなされたそうです。
普通ここで生きる意味や目標を完全に見失い
自殺される方も多いと聞きます。
太母さんも大悟する前に 虚無感に襲われて崖の上から
飛び降りる寸前まで至ったことがありました。
和尚ラジニーシもその直前は同じような状況でした。
これまでしがみついていた自我(我執)が崩壊しようと
機が熟した時に起きる現象かとも思います。
清水さんはこの危機のなかでラジニーシ弟子仲間の
古い友人との再会があり 彼との話の途中でふと彼の眼を
見た瞬間 突然何かが起きました。「いや、起きたと
いうのは正しくありません。何かを体験したわけでも、
特別なことが起きたということでもありません。・・・
大げさに語るようなことは何もありませんでした。
それでも言葉に言い表せない何かが違いました。
しいて言えばひと巡り世界中旅をして、もとの
我が家に戻ったかのようです。
前と全く同じ我が家ですが、何か感じ方や視点が違うのです。
とつぜん、腹の底から大笑いが起きました。
帽子をかぶりながら帽子を探し、眼鏡をかけながら
眼鏡を探している自分に気づいたからです。
二人とも腹を抱えて大笑いをしました。
探しているものを自分が最初から持っていたことに気づかず、
世界中くまなく探し歩いていたのです。
どうやっても絶対に見つからないわけです。・・・
そのばかばかしさに、滑稽さに気が付いたのです。
笑いがこみ上げてきました。 どうしてこんな単純で
簡単なことがわからなかったのだろう。
そう思いました。
はじめから落ち込んでいた自分など存在していなかったのですから。」
清水さんに起きたのは 自我があるという迷乱で氷の塊になっていた
心が溶けて 海とひとつになったのでしょうかね。
起きたのではなく 氷がただ溶けて元の水に還っただけですね。
はじめヨーギは
おのが心の滝のごとく転落するを感じ
中ほどにてはガンガーのごと
そはゆるやかにやさしく流れ
ついに、そは大いなる海なり
息子と母の光がひとつに溶け合うところ
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